しがない俳優厨から見たドリフェス!プロジェクトの話

記憶力がゴミなので、いつか過去になる今をどこかに残しておきたいおたくの忘備録です。
照準は完全に推しです。そして武道館というよりも、この3年間の話。
何かを伝えたいわけではないし、ミジンコほどの文才もありません。



2018年10月21日 日本武道館
約3年間のドリフェスプロジェクトが幕を閉じました。

ドリフェスプロジェクトは若手俳優が声優とアイドルをやるので、各界隈で興味を持つ人はある程度いただろうし、 キャスト全員アミューズ所属なので、アミューズの上のお兄様方から流れて片足突っ込んだ人もかなりいるし、 アプリゲーム、アニメ、DCDデータカードダス(なんかゲーセンにおいてあるお金を入れるとカードを輩出する機械) と割と広く様々な方面に展開されてたので、一番最初の入り口はバラけていることが多いジャンルですが 私のドリフェスはDearDream黄色担当富田健太郎くんからはじまりました。
もとから推してた俳優さんがドリフェスキャストになったパターンですが、
今や日本武道館を埋めるドリフェスおたくのルーツとしては一番少数派かもしれない。



2015年10月8日18:00
今よりはだいぶ更新が多かった(今は年1回ペース)富田くんのブログにスタッフブログが投稿されました。
ちょうど炎の蜃気楼瑠璃燕ブルース(ミラステ)の初日の幕が開ける1時間前でした。
2015年12月に下北沢で上演された、舞台「俺と世界は同じ場所にある」の告知ブログ。
アミューズの若手4人の舞台で、富田くんもすごくうれしそうで気合十分って感じで。
けど私は少しだけ違和感を感じました。
富田くんのブログにスタッフが投稿したのはその時が2回目。1回目は、ブログを開設してから初めての舞台の告知でした。それから約1年半で、富田くんは6つの舞台に出演したけど、情報解禁も、派生イベントの告知も自分一人でやってたから。 単純にスタッフブログでの解禁が珍しいなって思ったんです。

翌日
2015年10月9日12:00
富田くんのブログに3回目のスタッフブログが投稿されました。
これが、2.5次元応援プロジェクト「ドリフェス!」のキャスト解禁でした。
当時いた富田くんのおたく全員が、もう今までのようにはいかないってことを理解した瞬間だったと思います。
はっきり言うと、富田くんが勝ち取った大きな大きなお仕事を、手放しに喜ぶおたくは、当時1人もいなかったと思う。

だって意味わかんなくないですか?
ついこの間までダブル主演の片割れとして千秋楽のトリプルカテコで涙ぼろぼろこぼして頭下げてた。
もともとあれこれ饒舌に語る人ではないし必死な顔も辛い顔も表に出そうとはしないけど
千秋楽はいつも、頑張った分、大変だった分、楽しかった分、気持ちが溢れかえるみたいで、 芝居がやりたいって気持ちとか楽しいって気持ちとかを目前に突き出されているように当時のおたくは感じてたと思うんです。
それが急に声優?アイドル?エールはドリカが示すもの???イケるっしょ???いやいや何もイケないし。

富田くんはこれでいいのか、これがやりたかったことなのか、やりたいことだけやるのがお仕事じゃないってわかってる、。でも、それでも、私たちは何を応援していけばいいんだろう? たぶん、みんな、得体の知れないプロジェクトが怖かったんだと思います。
不思議なことに、人は何かに恐怖するとそれに関連するいろんなことに不信感を抱くんですよね。
私は、アミューズの仕事だからって急にスタッフがブログを更新することをすごく不遇だと感じたし、 アミューズに囲い込まれて、向こう数年ドリフェスが終わるまで外部の舞台に出にくくなることを知ってすごく悲しかった。 富田くん本人の気持ちを信じられなくて、環境の変化についていけなくて、離れていくファンの子もたくさんいました。

それになによりドリフェスの未来が不安だった。
2.5次元アイドル激戦の時代で、たいして陽の目を見ずに消える似たようなアイドルプロジェクトはいくつもある。そんなことに推しの大事な20代を何年間も(当時の私は短くて2年長くて3年ってゆってたかな)使われるのが嫌でした。

①富田くんが本当にやりたくてやってるのかわからない仕事をこちらはどう見れば良いのかわからないこと
ドリフェス期間は事務所にガッツリ拘束されて外部舞台をやれなくなること
③長期間1つの役を継続的に演じることで、ドリフェスからついたファンは役と富田くんを同一視するんじゃないかということ
ドリフェスプロジェクトが、いつかなかったかように廃れて富田くんの数年間が消えてしまうかもしれないこと
まあ他にも色々不安はあったんでしょうけど、ざっくり纏めるとこんなことですが、わたしにとっては死ぬほど泣いたくらいの恐怖と不安で、全然ドリフェスを受け入れられなくて。
それをわたしは結構はっきり本人に伝えていたと思うし、ツイッターなどでも隠さなかった。今思うと、良いファンじゃなかったなあ。だからその時ドリフェスからついた富田くんファンの方々とは全く相容れなくて。まあ、そりゃあそう、わたしが悪いです。

ここまで長かったですが、ようやく現場が始まると、まず思ったことは「俳優厨呼ばれてない」。
最初のAGFとかアニメジャパンとかは、出ます!って言われた時点でチケット先行はもう終わってて手遅れです!なんてザラでした。
でも考えてみれば、ドリフェスはファンの獲得に必死で、そのターゲットはAGFのチケットの仕組みがわからなくてアワアワしてる俳優厨じゃなくて、すでにAGFにいる二次元のおたくなので、考えてみなくても当たり前のことでした。笑
でも俳優厨っていうのは推しの現場に自分が存在しているかどうかが死活問題なので、そんな環境で当時いた俳優厨はみんなよく頑張ったなって思います。


2015年11月7日・8日
ドリフェス!プロジェクトの本格的な幕開けの日。
アニメイト本店と、池袋セガと、ナンジャタウンの3ヶ所でドリカを集めて、先着100人がトークショーの参加券を獲得するイベントでした。通称池袋マラソン。(わたしが勝手に呼んでるだけ笑)
それはもうおたくは鬼気迫る勢いで、池袋を爆走しますよ。たぶん雨が降ってたとおもう。
アニメイトのお姉さんがドリカを1人1人に配るのを諦めて、おたくの群れの中に纏めて突き出していました。
お姉さんの地の果てを見たかのような虚無顔を、3年経った今でも覚えてます。あのお姉さんはドリフェスのおたく死ぬほど怖いと思ったことでしょう、ごめんね働くお姉さん、、。
その初イベントでディアドリの5人は池袋の路上で通行人の方々にドリカを配ってました。
駆け出しの若手俳優、新人声優、新人アイドル、どれが正解なのかよくわからなかったけど、なんてったってわたしにとっては大切な「推し」。
推しが路上でビラ配りって、切なくない???


2016年4月(日付は忘れました)
ドリフェス!のアプリがリリースされた日です。
声優初挑戦の5人だし、多目見てあげてくれ~~って私たちがいくら思っても、世間には通じないわけで、アップルストアのアプリ評価は地を這っていました。
わたしの友人には、二次元のおたくがそれなりにいたので気乗りしないながらも一応推しが出てるので、ドリフェスよろしく!!って、事前登録をみんなにしてもらってたんですが、アプリがリリースされてからたくさん連絡が来て、みんな嬉々として教えくれました。どれだけ声優として酷いかって。耳を塞ぎたくなりました。


2016年6月26日
ドリフェス!のはじめてのファンミーティング。
ちゃんとしたホールを借りて、全員でやるのはこれが初めてだったかな。
場所はサイエンスホール。日本武道館の脇の、草木が覆い繁った道を進んだところにあるキャパ400人くらいのホールです。チケット代金は0円。無銭イベントでした。
富田くんは、舞台BROTHERS CONFLICT3の初日とこのイベントの間が2週間しかなくて(ブラステに出してもらえたのはほんとにイレギュラーで感謝しかない。ありがとうございます)昼間にブラステ稽古、終わってからファンミの深夜練なんていう日もあったっぽい?
迎えた当日、客席はとても満席とは言えなくて、最前列にも空席がありました。
でもそんな客席を見渡して、赤担当石原壮馬くんが言ったんです。

「いつか、隣に立ちたい」

必要ないと思いますが注釈すると、ここで言う隣は日本武道館のことです。
無銭イベントで400人のキャパを埋められないプロジェクトが、武道館。
あんまり覚えてませんが、たぶん笑ってた気がします。キャストも、客席も、笑ってたような気がする。


2016年9月23日
アニメ「ドリフェス!」第1話の配信日です。(TV放送はもっと後)
ここがドリフェスプロジェクトの入り口になった人はかなり多いんじゃないかな?
わたしは上映会で一話を見ました。
不安で心臓を絞られそうになりながら上映会に行きました。このときにはアプリ当初と比べると、劇的に声が上手くなっていて、5人の急成長に感動したのを覚えてます。


2016年10月1日
アニメ「ドリフェス!」OPとEDのリリースイベント。池袋サンシャインシティの噴水広場でのフリーライブでした。この時はじめて、それなりの曲数をライブとして披露したことになります。
激しいダンスを何曲も歌って踊る富田くんに衝撃をうけました。
こんなこと本人は言われたくないかもしれませんが、富田くんのダンスイメージといえば何故か関節がめちゃくちゃ固くて膝とか曲がらないし、リズム感なくて舞台のカテコの出のタイミングを共演者さんにカウントしてもらってた所にあったので(馬鹿にしてません、尊い)、ユレルミッドナイトをぱきぱき踊る富田くんに唖然としました。
楽しそうだった。ドリフェス!が解禁になってからもうすぐ1年になろうとしていましたが、ド!現場で富田くんを見て、楽しそうだなって感じたのはこの日が初めてでした。
ディアドリのライブにたくさんの方が足を止めてくださって、ライブが終わる頃には、噴水広場のある地下一階から、吹き抜けになっている3階まで、見渡す限り人に埋め尽くされていました。
ドリフェス!プロジェクトのプロデューサー臼倉さんがぼろぼろ泣いていました。5人も嬉しそうに幸せそうに3階まで見上げては何度も頭を下げていました。

このイベントが私にとってのドリフェスの転機になりました。
さすがに1年も経てば、わたしの情緒もだいぶ落ち着いてきたし、結局のところ俳優厨なので、推しが前を向いて楽しそうにしててくれればなんでも良いんですよね。
1年間の時間を経てドリフェスとわたしも向き合おうと思いました。
もしかしたらこの先、富田くんのことを声優と呼ぶ人がいるかもしれない。アイドルと呼ぶ人がいるかもしれない。富田健太郎と佐々木純哉の境目がわからなくなる人がいるかもしれない。
でも富田くんが自分のことを、役者だと言う限り、わたしも役者富田健太郎の作品ドリフェス!に着いていこうと思いました。


信じられないことにこれだけ書いてまだ1年分なんです。信じられない!笑
でもこのあとのことは皆さんご存知だとおもうので、ウンウンそうだよねー程度で巻いていきます。


ようやくドリフェス現場を楽しみに出来るようになったとはいえ、ドリフェス現場って一筋縄じゃいかないんです。
真夏の炎天下6時間コースだったり、台風の中、横浜アリーナの軒下で夜を明かしたり、チケットを用意して劇場の椅子に座っているのがヲタ活の全てだった俳優厨は白目剥きそうになりました。
チケット申し込むのにもCDを買う必要があって、アルバムも枚数数えるのやめたくらい買った結果、ワンマンライブのチケットが1名義しか取れなかったときは泣きそうになりました。人生ギャンブル。思えばこの頃にはもうドリフェスは大人気コンテンツ!!!
福岡の小倉で12時からイベントをやったあと、広島に移動して16時からイベントなんていう1日もありました。
そんなこと物理的に可能なのかとびっくりしましたが、間でもつ鍋食べられるくらいは余裕でした。(日本の交通は便利で新幹線に乗っちゃえば一瞬。すごい。)
未だに忘れられないのは、キャパ70人くらいの小部屋(アニメイト内のイベントスペース)で、徹子の部屋方式でステージ上に椅子が2つ用意されていて、同厨70人に見られながら推しと1分間対談するイベント(通称:部屋イベ)。 
ステージに上がって椅子に座ったときに、あまりの状況の異様さに、なんかすごいね、、と呟いたら、間髪いれずに「ここにいる人はみんな仲間ですからねっ!!(意訳:同厨と仲良くしやがれコノヤロウ)」と言われたので(冗談です)、それからわたしはそこそこ同厨と仲良くする努力をしたんですが、まあわたし1人ではどうにもならないこともある。笑 相手がいるスポーツなのでね!(違う)

そんなこんなで大変なことも多かったし、それはキャストの皆さんも一緒でしょう。悔しかったり、しんどかったり、いろんなことがあって、それでもいつも舞台の上では楽しそうに笑ってました。わたしが参加しなかった現場でもきっとそうだったんだと思います。
おたくは、推しの感情に引きずられる生き物です。
ドリフェスの活動規模はどんどん大きくなって行って、ツアーでは全国5都市を回りました。
どんどん広くなるキャパにいつだって不安を感じましたが、その場にいってみれば不安に思ったことが申し訳なくなるくらいたくさんのファンで埋め尽くされてました。
そんなツアーが終わったころです。
2018年3月5日
ドリフェスプロジェクトの休止が発表されました。


そういえば、時系列がぐちゃぐちゃなんですが、
2017年7月14日
2.5次元アイドル応援プロジェクト「ドリフェス!」は、アニメ二期の決定と同時に、5次元アイドル応援プロジェクト「ドリフェス!R」へと進化しました。
2次元+3次元=5次元
知らない人には、何をいってるんだと思われるかも知れませんが、このリニューアルはドリフェスプロジェクトで一番の良策だったと思います。
わたしはアニメの中でしか佐々木純哉くんを見たことがありません。ドリフェスのイベントに来て、ステージ上にいるのはいつも富田健太郎くんでした。ウィッグ被ったりカラコンいれたりもしません。まんま、富田健太郎くんです。2.5次元とは言えど、実際は2次元と3次元に別れてしまっている。その曖昧さを5次元は解決してくれました。
キャラクターと役者のそれぞれを混合するのではなく、隣り合わせだったり、向い合わせだったり、背中合わせだったり、それぞれの形で自立することを許容してくれたように感じました。
ドリフェスプロジェクトは7人ではなく14人。その概念が明確になったのがこの頃でした。(わたしの話の中では全く触れられませんが、KUROFUNEがいます)

そして2018年10月20日、21日 日本武道館
約3年間のドリフェス!プロジェクトが幕を閉じました。

2日目の21日は、超満員でした。
ステージの際まで人が入っていました。
彼らも私たちも絶好調で、全員がドリフェスが好きで、仲間たちが好きで、楽しくてしかたがないって言う顔をしていました。
3年前の彼らといえば、モチベーションに差がありすぎて、性格にも差がありすぎて、恐ろしいくらいでした。自分の方向性に疑念を持ってる人もいれば、ドリフェスのために芸能界入りした人もいます。モチベーションが違って当たり前です。
それがいつのまにかお互いの個性を認めあって、リスペクトして、大事な仲間として同じ方向を向いてました。まじで尊い

武道館はそれぞれのソロステージがありました。
3年前ドリフェスが始まった頃に、武道館の大舞台に自分の推しがたった1人立つ姿を想像した人が何人いますか?池袋の路上に立たされてたんですよ。信じられないでしょ??

最初の方に書いた通り、私は良くないおたくだったので、最初の1年間は呪文のようにドリフェス終われ早く終われって唱えていました。
けど、ドリフェスが陽の目を見ずに、誰にも気づかれない所で終わるのを一番恐れてもいました。
だからこの武道館は素晴らしい終わり方だなって思いました。
どうせいつか終わるのなら、心から惜しませてほしい。たくさんの人に惜しまれて終わってほしい。

公演の終盤、会場は涙の渦でした。
わたしもこんなに声を出して泣いたのは久し振りでした。公演が終わって飲み屋に移動してからも事あるごとに涙が出ました。今まで全然思い出さなかった事まで全部蘇ったので、今こうして全部文字にしています。

もう何が言いたいのか訳がわからなくなってきた、というか、言いたいことなんてはじめから無くて、ドリフェスはサイコーのコンテンツでしたってことなんです。
ドリフェスを好きになった人達が、0からスタートしてるとしたら、わたしはめちゃめちゃマイナスからのスタートでした。
わたしだけじゃないでしょ?富田くんのおたくだけで数人はいると思うし、他のメンバーのおたくにも違いはあれど同じような葛藤があった人がいると思います。
そういうマイナススタートの人間ですら、ドリフェスは3年かけてサイコーの向こう側まで連れてきてくれました。
3年間楽しかった!!!!!!!!!!
辛い時期もあったけど、それを越えたからこそ今があるし、大変な現場も多かったけど、終わったあとはいつだって死ぬほど楽しくて死ぬほど推しが好きでした!!!!!
長々書いて、要約するとこれだけなんです。これだけのために延々読んでくれた方がいるとしたら、本当にごめんなさい笑

私のような3次元のおたくは、基本コンテンツにお金を落とすことが得意じゃないです。推しがそこにいるならフットワークは軽いですが、アプリ内課金とか、コラボドリンクとか、あれはやこれやのグッズにはあまりお金を落としてこれませんでした。(例外は多々いるとおもいます)
そこにお金をかけられる2次元のおたくの方々こそが、ドリフェス!の求めてたファン層だったと思います。
ドリフェス!プロジェクトをここまで連れてきてくれてありがとうございました。
そしてわたしと同じような俳優厨のみなさま、お疲れさまでした。慣れない環境で本当によく頑張りました。

見てはいないでしょうが、キャストスタッフのみなさまもお疲れさまでした。
3年間で培ったパワーで明日へと進もうと思います。

最後に富田健太郎くん。
「黄色のペンライト一色の中の富田くん」構図の写真が欲しいです。ご検討お願いします。

それから、ずっと役者でいてくれて、ありがとうございました。







21日の終演後、客席全員でALL FOR SMILE 歌ったの、サイコーにエモくないですか!?!?!?!?!?
だれがこの武道館の舞台を想像してたんだろう。

「いつか、隣に立ちたい」

根拠のない 言葉も今は 確信になった
ALL FOR SMILE!  熱くなろう!!!



ドリフェス!エモいわ~~~~!!!!!!!!!




おしまい。

俺と世界は同じ場所にある

俺と世界は同じ場所にある


富田くんの2015年締めの舞台で、そして初アミュ現場でした(アンサンブルを除く)。
普段舞台についてブログかいたりしないけど、今回の舞台はDVDにならないらしくて、だからこの舞台中感じたこと、頭ひねったこと、たくさん考えたこと全部、今忘れたらきっと一生思い出せないから、考察ブログ。


登場人物としては、溝口琢矢くん演じるポンさん、石原壮馬くん演じるドテくん、三村和敬くん演じるケンちゃん、それから、我らが富田健太郎くん演じる大山くん。
あとは、役者はいないけどみんなが代わる代わる演じるカズキとアヤネ。

成人式で中学のときの仲間が久しぶりに揃うところから始まって、とやかくあって静岡県三島から新潟まで日本横断往復の旅。道中の車の中で、中学時代のことを思い出したり、各々の悩みとかつっかかりとぶつかったりって感じのお話。超、ざっくり。笑


ポンさんは、4人の中では裕福な家に産まれてて、東京で大学に通ってて、頭良くて。
親にお金出してもらって大学行って、留学行って、車買ってもらってってしてる分、親のこと大事にしてるし、けどそんな自分を少し恥ずかしいとも思ってる。三島の秀才だったけど、東京にでたら自分レベルなんてざらにいて、ただの凡人なんだって実感して、臆病になった。

ドテくんは、ポンさんとは正反対で、何もかもに恵まれなくて。家なんてもともとあってないようなもんだったけど今はほんとに三島には実家もなくて東京でバイト三昧。
幸せの数も、不幸の数も決まってて、今まで不幸ポイントたくさん使った分これからはきっと、って、ずっと自分の運命?境遇?に我慢してきた。だから、自分の家がズタボロだった分、ちゃんとあったかい家族とか、家とか、そういうのに憧れが強くて、1番カズキに対して憤りを示したドテくん。

ケンちゃんはお洒落で天才肌で、専門通ってて、友達とブランド立ち上げる!って言って、1番自分の夢に一直線に進んでた人。でも、友達に裏切られて、悲しくて悔しくて傷ついて、でもそうしてるうちに自分の心すらわからなくなって世界が嫌になって、引きこもった。カズキと一番仲良かったのがケンちゃんで、カズキのことを聞いたときに、カズキを庇う方面で憤ったのがケンちゃん。

ドテくんもケンちゃんも、刑務所行こうって言ったけど、ドテくんはカズキを責めててケンちゃんはカズキを擁護してて、正反対の感情で、でもお互いにお互いの気持ちがわかるから何にも言わずにいたのがすごく痛かったです。

それから、大山くん。
大山くんがわたしは本当に一番理解できなくて、てゆうか大山くんがダントツで情報量すくないの!ほんとに!笑
とりあえず、明るい、友達多い、あんまり自分の意見言わない、音楽が好きで、三島を離れる気はない。ほんとこのくらい笑 大山くんについてわかることって笑
だから、大山くんに関してはほんとに憶測でしかないんだけど。
みんながそれぞれ悩みとか苛立ちとかをぶつける中で、大山くんは唯一そういうのが一つもなくて、けど何も考えてないなんてそんなのありえないから。
引っかかるのは、家を出ない、三島を出ないってところ。
俺は何でもいいんだよ、音楽と並行できれば。って言うことは、大山くんがやりたいことは音楽しかやりたいことないってことでしょ。そうしたら、東京出て音楽一本!って道を選びたくならないのかなって思うわけだけど。4月からは知り合いの所に就職するらしい。笑
それから、ドテくんに成り行きで人生決めんな、とか、自分の意見なさすぎって言われてるみたいに本当に主張しない。周りの空気に合わせるっていう感じ。刑務所行くかどうするかってときも大山くんは行くとも行かないとも言わないけど、ドテくんが怒るのが嫌だからポンさんが行くって言った時に安心した顔するのね。
それから、カズキのこと聞いてドテくんが怒る気持ちも、ケンちゃんが引きこもっちゃう気持ちも、理解できない。本人が言うにはおれは恵まれちゃってるから。
でも、わからないって言う大山くんが本当に辛そうで、大山くんはすごい友達を大事にする人だから、わからないことが辛いんだろうなあ。
わからないからその分かもしれないけど、すごく人の事を気遣って、安心させる言葉とか、場を和ませることを言える。優しい人。



それから、ずっと考えてた「俺と世界は同じ場所にある」っていうタイトルについて。
どういう意味なんだろうって考えてて。
この舞台でいう、世界ってなんだろうって考えた時に出て来るのがケンちゃんのセリフで、「世界変えて。なんなら、全大人変えて。」
だから世界=大人っていうと大きすぎだけど、世界は大人で構成されてるみたいな認識なのかなって思った。
全大人が変われば戦争なくなる、人の悪口なくなる、世界が変わる。
本当にただの私の憶測でしかないけど、中学の時に、ケンちゃんが転校しちゃうかもってなって、ポンさんを初めとしてみんなで教室の中に作ったバリケードは、ケンちゃんを大人に連れて行かれないようにするための高い壁。教室の中にみんなで作った子供の世界なのかなって思って。
秘密基地みたいなあの空間は、子供だけの絶対不可侵領域。机とか椅子で作ったバリケードは、大人と子供の間の明確な境界線。
けどいつしかみんな歳をとって、20になって、自分の意思とは関係なく大人って呼ばれる歳になって、色んな悩みとか問題抱えて、大人と子供の境界線の間で、がんじがらめになった。
だから、成人の日にもう一回作ったバリケードを今度は自分達の手で思いっきり壊して、境界線の向こう側、大人の世界に一歩踏み出す。
だから、俺と世界は同じ場所にある。
なのかな、とか、思ったわけです。


千秋楽終わってから友達と鍋食べながら色々考えて、大山くんがもしかして、4人の中では一番大人だったのかなってなった。

最初からバリケードの外にいたし…っていうのはきっと私の考えすぎだけど笑
最初は東京に出ること音楽やることを怖がってるのかなって思って、だから三島のヒーローっていう今ある居場所に固執してるのかなっておもった。
でも、大山くんはそれと同時に、たぶん諦めてる。
東京で音楽一本みたいな夢をもしかしたらいつかは見たのかも知れないけど、今はもっとリアルな現実見てるっていうか。
きっとそれを諦めちゃえば、大山くんの中では三島を離れる理由ってなくなっちゃうんだろうな。
大人になることと諦めることって紙一重なんじゃないかなって思うんです。
大抵の人は色んなことを諦めて生きてる。
自分の夢に一直線に脇目も振らず突き進める人ってすごいレアだし、強靭な意思とかその人の問題と、それとは別にやっぱり夢を追えるだけの環境がなきゃだめなんだと思うんです。もしも大山くんがポンさんの家に生まれてたら大山くんは夢追って東京にいたかもしれないし、大山くんがドテくんだったらそれもまた、東京でバンドしてたかも。でも大山くんは大山くんだったから。
大人と子供の間の境界線ぶっ壊して、大人の世界に一歩足を踏み入れた彼らはそれぞれの場所でそれぞれの道を歩んでいくんだと思います。ちゃんと。
ポンさんは自分なりに東京で、今までよりはもうちょい強気にポンさんらしく頑張るだろうし、ドテくんは大学行って幸せな家庭を築く夢に向かって尽力するんだろうし、ケンちゃんは家に篭るのやめてもう一回挑戦するだろうし。
カズキもいつかは刑務所から出て、アヤネと一緒に今度こそはって。
でも、大山くんはあのあと三島に帰って、音楽1本の道を行くとは考えられなくて、やっぱり三島で家でずに、親の知り合いの会社に就職するんだと思う。
でも、大山くんはちゃんと未来に希望見てるからすごいなあ。
「世の中に凡人などいなぁぁい!!!幸せの数も、不幸の数も、決まってなどいなぁぁぁい!!!幸せポイントは無限だぁぁぁあっ!!!」
三島のヒーローの言葉はきっとみんなを救ったから、だからみんなはバリケード壊せたから、大山くんは本当に三島のヒーローなんだなっておもいます。



はい。10公演そんなことばっか考えながら。
今年のとみたくん納めでした。

とみたくん、去年とは比べられないくらいハードスケジュールな2015年お疲れ様でした。
ブラステはやっぱ不完全燃焼だったけど、6つの舞台全力で追えてよかった!
ブラステ2、ブラステ再演、碧旅、十五少年、ミラステ、同じ場所。
全部深く心に刻まれて、絶対忘れない。
いつも舞台の初日に次の舞台の解禁っていうパニックサイクル(笑)だったから、次の仕事が解禁されてないって感覚が不安でしかないので早く次の舞台求む~~!!!


外部の舞台!求む!笑